和心紡ブログ

草加せんべいの話

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 今朝 信州みその話をブログに書き込みましたが 先日 草加せんべいの話を教

えて頂いたので それを ご紹介をします。

 草加せんべいの定義は 関東で収穫をするお米を使う事らしいです!!

 御煎餅は 通常 生地屋さんと 焼き屋さんに分かれての 分業だそうですが

中には 両方をやられる御煎餅屋さんがあるそうです。また うるち米を使って作

るのが 煎餅で 糯米を使うのが おかき あられだそうです。
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8時過ぎに出発

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 今日は 朝8時過ぎに 打ち合わせのために家を出ました。

 いつもは 大体 5時半から散歩をしだして 帰宅が 7時~7時半の間になり

風呂に入り朝食を食べて 9時ごろに家を出て 18時ごろ帰宅をするのですが 通

常ですが 今朝は 早かったです。
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信州みそのルーツ

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 先日 聞いた話ですが

 長野県佐久市にある 「安養寺」

 安養寺は日本全国に多数有りますが 長野県佐久市にある安養寺が 信州みそ

のルーツのお寺だそうです。

 以下の説明は ネットを参照です!!

 前編・・

 長野県(信州)で製造される米麹と大豆、塩でつくる味噌(米味噌)が信州味

噌。「酵母と乳酸菌の働きにより、さっぱりとした旨味と豊かな芳香を併せもつ辛

口味噌」(長野県味噌工業協同組合連合会)とのこと。

 そして信州各地に味噌が普及したのは武田信玄が行軍用(兵糧)として造らせた

「川中島溜」(かわなかじまたまり)とされています。ただし、これは味噌溜(み

そたまり)で、下総国(現・千葉県)野田の飯田市郎兵衛が川中島の合戦に際し、

武田信玄に収めた「豆みそ」をつくっている過程で生まれた醤油(味噌の発酵・熟

成中に分離した液体)。1tの味噌からわずか10リットルほどしか抽出されません

が、長期熟成の味噌からのみ摂ることのできる味噌の旨味成分が濃縮された液体で

す。ちなみにたまり醤油は、大豆と塩、少量の小麦から造られる醤油で、味噌溜と

は異なります。

 関東大震災では被災した東京に味噌を送り、さらに第二次大戦で焼け野原となっ

た東京にも味噌が送られます。

 こうして信州味噌は東京で一躍有名になりました。

 後編・・

 1249年(建長元年)に宋(現在の中国)に留学した心地覚心は西方寺(後の興国

寺)を開山し、径山寺(きんざんじ)の味噌の製法を模した金山寺味噌を創案した

ことで有名です。その心地覚心は、信濃国北佐久郡下平尾村(現・佐久市下平尾)

に普化宗(ふけしゅう=虚無僧で知られる宗派で心地覚心が日本に伝えました)興

国寺の末寺として安養寺を開き、寺種の大豆を使って味噌造りを始めたと伝えられ

ています。これが安養寺味噌で、現在では佐久市岩村田の老舗、和泉屋商店が安

養寺味噌を復活させています。

 安養寺は平尾村から貞治年間(じょうじねんかん/1362年〜1367年)に心地覚

心の遺言により、弟子の正眼智鑑禅師が現在地に移転。戦国時代には武田信玄が

曹洞宗の寺として堂宇を修築しています。元禄12年(1699年)、臨済宗妙心寺派に

改宗。佐久市では安養寺味噌を使った安養寺ラーメンでの町おこしを行なってい

ます。佐久は武田信玄の信州攻略の拠点でもあり、天文19年(1550年)武田信玄は

安養寺に526石余を寄進しています。

心地覚心が伝え、信玄が普及に一役買ったと伝えられる信州味噌の話、かなり、信

ぴょう性があります。
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日程

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 画像は パソコンに入っている今月の日程と システム手帳に入っている先月と

今月の日程です。

 おかげさまで キャンセル待ちの方もいらっしゃいます。
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